軽い遅れだから見逃されやすい課題が多いLDへの理解


分かりにくいLD
LDはとてもわかりにく問題です。昔からLDの人はいたわけですが、LD(Learning Disabilities=学習障害)の概念がアメリカで
言われるようになったのが、1960〜70年代。原因をはじめ、まだ分かっていないことが多くあります。
日本では95年に文部省が「全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する、推論するなどの特定の能力の習得と
使用に著しい困難を示す様々な障害を指す」というLDの定義をまとめ、教育現場への理解を求めていますが、まだまだ浸透していない
ようです。

推定で2〜3%
LDでありながら見逃され、診断を受けていない子も多いうえ、LDの子とそうでない子の線引きも難しく、正確な数は分かりません。
2〜3%という意見が多いのですが、1%という専門家もいれば5%と言う専門家もいます。
LDでも、幼児期に言葉の遅れがあっても、学校に入るころになれば、だいたい日常会話はできるようになる。周囲の大人から見れば、
明らかな差がわかりにくいのです。また、言葉に問題はなくても、目から入った情報を脳で処理する力が弱くて絵が下手なLD児の場合、
「この子は絵が下手なんだ」で終わってしまう。単なる特徴だと思われがちです。普通の子と発達障害もある子とのはざ間に、LDが
あると言ってもよいでしょう。理解されない分「いじめ」など現代社会の荒波を真っ先に浴びてしまいがちです。

能力の偏りをカバーして
LDは医師のみが診断するわけではありませんし、病院に通い、薬を飲めば治るというようなものではありません。
能力の偏りや、問題点を正しく評価し、子どもの特性にあった指導や教育を受けることが大切です。LDの子はある特定の領域の発達が
遅れ、能力に偏りが出ます。日常生活、社会生活、学校の勉強でつまずきますが、弱いところを他の能力でカバーし、つまずかないように
することが基本です。その子にあったプログラムを組んで、うまく困難を避けられるよう訓練していけば、能力が伸びていきます。
そのためには、心理、教育などの専門家に、時には医師も加わってチームを組み、適切な評価を行ない、治療教育の目標を決めていく
ことが必要です。しかし、今の日本ではその体制が出来ていません。LDへの取り組みは、まだまだ課題が山積みしています。

          

 

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